変化と統一

昔高校の時、剣道の有段者である美術教官が授業中によく「変化と統一」ということを言っていた。その授業はA3ぐらいの画用紙を 5cm × 5cm ぐらいの方眼に区切って、それぞれのマスに絵の具で着色を行い、美しいグラデーションを作るという、今思えばペイントソフトさえあればいくらでも効率化ができる原始的な授業だったのだけど、確かにその課題をやっていると、単に変化だけがあっても混沌と化してしまうし、統一のみを推し進めると単調でつまらない作品となってしまうので、面白く感じた。

話は変わるが、昔村上龍か誰かがゴダールか誰かにインタビューをしたとき、『今まで映画は「何かが変わった」ということを示さなければならないと思っていたが、それは違って、「何も変わっていない」ということを示す必要があるということに気づいた』というようなことを書いていたが、これもきっと「変化と統一」について言っているのだと思った。

つまり、物語を語るときにも、変化だけ、あるいは統一だけの片方だけがそこにあってはならないのであって、主人公の内面や彼をとりまく状況が何らかの形で変化したということをオーディエンス示す一方で、始まりから終わりまで一貫した世界観や形式を保っているのが、(人それぞれではあるんだろうけれど伝統的には)良い物語の条件なのではないかと思う。

このことに思い当たったのが「エグゼクティブ・デシジョン」という映画で(すごく面白かった)、この物語の冒頭で主人公は飛行機の操縦を通して、「自分に自信を持っていない」という人物描写を与えられているのだが、物語の最後では試練を乗り越えた結果、「自信を獲得した」ように描かれる。しかしそれと同時に、物語の冒頭で主人公が言う「ホッケーは好きかい?」という台詞が、物語の最後でも繰り返されることによって、物語には形式美とでも言えるような統一感が与えられている。

シェイクスピアの時代からわかりきっているつまらない法則かもしれないけど、「エグゼクティブ・デシジョン」でそれがあまりにも如実に現れていたので、メモ代わりに。