ソーシャルブックマークについての個人的な覚え書き

追記: 構成がまずかったせいでブックマークのコメントでb:id:otsuneに誤解されてしまったみたい。

趣旨は「タグ付け批判」ではなくて、「タグ付けは面倒くさいけど、それでも多くの人がタグ付けしているのはなぜか考えてみる」ということです。

次のエントリーで実際に使っていく上での方針を書いています。自分なりのタグの付け方を模索しているという感じです。

追記2: 「賛同」という言葉も悪かったかも。

以下本文。

はじめに

おれはタグによる分類が苦手で、はてなブックマークで自分がためこんだブックマークでも、タグから遡っても目的な情報が見つからず、結局検索機能を使ってしまうことも多い。

id:eigokunが書いた以下の記事に賛同する。

「記事に対して付けるタグを考えると、頭を使って面倒くさいと思うんだけど。」
「タグが細分化され過ぎていて分かりにくい。」
「タグなんて付けなくても、サーバーが勝手にキーワードを拾ってくれるじゃないか。キーワードをタグ代わりにする方が、効率的だと思うんだけどなあ。」

http://d.hatena.ne.jp/eigokun/20070910/1189410875

人が手でタグをつけるのは基本的に面倒くさいことだ。サービスは定義により面倒くさいことをユーザーに強いてはならない。キーワード抽出などで自動化するべきというのは正論だ。

なぜタグをつけるのか

しかし、それならば、なぜタグを使っている人が多数派なのか。

この理由は、当たり前すぎて言うのも恥ずかしいけど、「ソーシャル」な部分にあるのだと思う。タグを他人と共有すること。

効率的な情報収集

「ソーシャル」な機能も、大きく2つに分かれると思うのだけど、1つは「効率的な情報収集」という側面。

たとえば、YAPC Asia 2007関係のレポート記事には"yapc2007"というタグをつける、という取り決めがあれば、一人がすべての情報をまとめなくても、みんながそのタグを使って情報を集めて、そのタグから恩恵を受けることができる。

感情の表明

もう一つには、あるパーマリンクに対して自分の感情を表明する機能がある。代表的なのは「これはひどい」タグなどだ。

いろいろな意見があるとは思うけど、おれはあまり使いたいとは思わない。使うならほめるのに使うべきだ。b:id:miyagawaさんの"cool"タグのような使い方。「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。」

(余談になるけど、TwitterTumblrが流行している理由の1つは、この面倒くさいタグ付けを省略した上で、Followするだけで人とつながれるようにしたことだと思う。タグづけ=ソーシャル1.0、Follow=ソーシャル2.0)

当然すぎることを書いてしまった気がする

ちゃんとSBMに関する情報を追っていないので、もっと議論は深まっているのかもしれない。
あくまで、自分の思考の整理のために書いた。